心の問題から開始したいと思います。聖書は「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる」(詩篇 34:18)と述べています。神は壊れた心に平安と癒しをもたらすことを望んでおられるということは興味深いことです。
心の痛みに関する最初の 3 つの問題を取り上げて、これらの問題によって人はどのように傷つくかを理解したいと思います。また、これらの問題が人間関係におけるその人の対応力にどのように影響するかについても検討します。
まず、「放棄」という用語から始めましょう。放棄とはどういうことでしょうか。放棄とはは、引きこもること、立ち去ること、見放すこと、見捨てること、破棄すること、手放すこと、別れること、関係を断つこと、背を向けることを意味します。
ある母親は娘を望んでいませんでした。その娘は 11 人中 10 番目の子供でした。父親は、怒りに満ちたアルコール中毒者で虐待的なだけではなく、ポルノにのめり込んでいました。他の子供がいたので、母親はこの娘のためには時間をとりませんでした。娘は 10 人の男性と次々と付き合いました。実際、付き合っている相手の注意を引くために相手に肉体を捧げました。最終的には 11 人目の恋人と結婚しましたが、一度も感情的に愛されたことがないため、誰も信頼することができませんでした。これは、感情的に見捨てられ、つながりを切望しながらもそれを得ることができなかった人の経験です。
人はどのように見捨てられるか
養子縁組によって手放される子供がいます。両親によって養子に出されるのです。養子に出された人は、見捨てられたことに関連する心に痛みを持っています。これは生後 1 日目に養子に出された場合も同じです。
子供を見捨てて立ち去る親もいます。
離婚する親もいます。その場合、家を出た方の親は残された子供に心の痛みを与えることになります。20~30 年経ってからも、配偶者が離れたりすると、その人は見捨てられたように感じるために感情的に反応します。
自分自身の痛みにあまりにも集中しているために愛することができない親を持つ子供は、親が感情面で助けとならないため、見捨てられたように感じます。
また、情欲と不倫に集中している親もいます。そのような親は、他の関係に夢中になっているために、子供に心を注いでその感情的なニーズを満たすことがありません。
病気のために入院している親もいます。そのような場合も子供は傷つきます。
仕事に専念しているために、子供のために時間をとることがまったくない親もいます。これらの異なる状況が、放棄(見捨てられたこと)による痛みにつながります。
放棄(見捨てられたこと)の個人への影響
見捨てられた子供は、他の人からも見捨てられるという恐れから、人との関係を信頼することを恐れます。
見捨てると脅されると、強い痛みを感じます。子供の頃に感情的に見捨てられた人は、夫が「君にはもう対応できない!」と言って部屋を出ると、その瞬間、反応し、強烈な恐れを感じます。
子供の頃の経験と似た経験は、どれも痛みを引き起こします。バーディーという女性が証言していますが、彼女は夫が釣りに行ったり、アラスカでの熊の狩猟に出かけたりするたびに、心の中で女は夫から置き去りにされ、見捨てられたように感じていました。彼が熊狩りに 1 日だけ行くだけでも、彼女はその痛みを感じました。この痛みは、彼女の中ではいまだにとても現実的な痛みです。
人は、子供の頃に持てなかった心のつながりを切望するものです。見捨てられたことのある人は、いつも愛してくれる人を求めています。いつもつながりを持って、思いやってくれる人を探し求めますが、自分を求めてくれる人は誰もいないと常に感じています。
放棄(見捨てられたこと)に関連する痛みを表す言葉
最初のセッションで、さまざまな痛みの問題に関連し、痛みを表すさまざまな言葉についてお話ししました。次に放棄(見捨てられたこと)に関連する痛みを表すすべての言葉が画面にリストされています。ここでは、このリストのうちの 3 つだけ取り上げたいと思います。
見捨てられた - 「私の父は私が 4 才のときに家を出たまま、戻ってきませんでした。私は縁石に座り、5 時に父が仕事から帰宅するのを待っていました。母は、父は帰ってこないと言いましたが、私はそれを信じませんでした。絶対に帰ってくると思っていましたが、父は二度と戻りませんでした。3 週間待った末、父は私のことなどどうでもいいのだろうと、私は諦めました。」これは私のオフィスで扱った実際の事例です「窓際へ行って鼻を窓に押し付けて、お父さんの帰宅を待ったことがありますか」と私が尋ねると、「いえ、ドアを開けて、縁石へ行って 3 週間、毎日 2 時間そこで待っていましたが、父は戻りませんでした」と彼女は答え、さらに次のように語りました。「それ以来ずっと、私は見捨てられたと感じてきました。」
求められていない – 私を求めたり必要とする人は誰もいなかった。
孤独 – 私の心を思いやっているような暇のある人は誰もいないように感じる。
見捨てられたことのある人は、このようなことを言います。
見捨てられた人の心をどのように解決するか
4 才のときに母親に家を出られたという女性が私のオフィスに来られました。2 人の娘たちには理由を説明することもなく、「もうここにはいられない」という置き書きだけを残して母親は家を去りました。アルコール中毒の父親が娘たちを育てましたが、心がつながることはありませんでした。この女性は、感情的に離れた人と結婚しました。この夫は、威圧されるたびにロックしてしまい、感情的に離れてしまい、それが彼女の痛みに触れました。彼女が彼の注意を引くためにプレッシャーをかけると、感情的に自分を引き離しました。彼女は子供の頃、人とつながることがなく、見捨てられていました。結婚生活においても彼女は見捨てられたのです。その痛みをすべて持って、彼女は私のオフィスを訪ねられました。このような人を導くための祈りの例を次に示します。
これらの問いかけを 1 つずつしと行き、その都度、神の御霊が答えを促すのを待ちます。
放棄(見捨てられたこと)による問題を解決する言葉
配偶者の方は、妻/夫が放棄(見捨てられたこと)によって経験した心の痛みを認め、思いやることから始める必要があります。以下は、そのために使う言葉の例です。
肯定的な言葉の例
ここに肯定的な言葉の例をいくつか挙げます。ここで説明するのは一部だけです。
受け入れられている – 私から妻として受け入れられていると感じてほしい。
友達になるd - あなたとつながって、絶対に見捨てたり、離れたりしない友達になりたい。
属する - この結婚生活で、求められている、属していると感じてほしい。君とつながりたい。私から感情的に思いやられていると感じてほしい。
私たちは、神によって人とつながるようにデザインされているため、配偶者が相手の心の痛みの問題を重視し始めると、突然、心が開き、反応し、つながることを願望するようになります。
人を勇気付けるための聖句
次に取り上げたい言葉は「放任」という言葉です。放任には以下が含まれます。
人は次のような方法で放任されます。
話しかけてもらえない、認めてもらえない、尊重されないなどの場合です。私のオフィスを訪ねてきたある男性を忘れることができません。子供の頃のことを尋ねると、「1 つだけ覚えていることは、朝食の食卓から離れたとき、皆が私のことを笑ったことです」と言います。「なぜ笑われたのか」と尋ねると、「私が食べなかったことなど誰も気付きませんでした。皆が笑ったのは、私が朝食のシリアルを食べなかったからです。実際、だれも私にシリアルを渡してくれなかった」と答えました。
私と妻との間には 4 人の子供がいます。その 1 人が朝食を食べなかったとしたら、私ならそれを覚えていて「どうかしたの? 気分が悪いの?何があったの? 学校に行くのが怖いの?」などと尋ねるでしょう。私は質問を始めましたが、この男性の両親は何も尋ねず、ただ笑うだけでした。彼は「部屋の隅でトラックで遊び、自分と関わってくれる人はいなかった」と言います。彼は 99% 落ち込んでいました。彼と感情的につながる人はだれもいなかったのです。その結果、彼は心に傷を負いました。彼はその妻との対話の仕方を知りませんでした。彼と関わって交流してくれる人はいなかったため、人との交流方法を知りませんでした。
放任にはもう 1 つ種類があり、それは物理的な放任です。子供の頃に適切な食べ物を与えられなかった場合、大人になってからの対応に影響が出ます。ある男性がオフィスを訪ねてこられましたが、その男性は飛行機を降りるなり、その夫人に「スーパーに行かなくちゃ」と言い、食料品を 18 袋分も買い込みました。コロラドスプリングスにはレストランが 450 件もありますし、その週に食糧不足であったわけでもありません。実際、コロラドスプリングスが食糧不足になったことはありません。スーパーにはいつも十分な食料品が置かれています。でもこの男性は恐れていたのです。彼が 3 才の頃、両親は子供を養うことができず、5 人の子供たちは、施設に収容されたのです。一番小さく、たったの 3 才だった彼が食卓につくまでには、いつも食べ物はなくなっていました。45 才になった彼は、25 万ドルもの年収を稼ぐようになり、50 万ドルもの家を建設中です。お金は欲しいだけあり、欲しいものは何でも手に入れることができますが、心の中ではいまだに恐れがあるのです。なぜでしょうか。子供の頃に体験した物理的な放任について、誰も思いやってくれる人はいなかったからです。これが物理的放任です。
放任されたことによる個人への影響
放任された人は、また無視されることを恐れ、その痛みに触れられるたびに反応します。人を信頼することが困難になり、誰かが話しかけてくれなかったり、心を注いでくれなかったりすると、その人は感情的に相手から離れ、放任されたことに悩みます。
放任に関連付けられた痛みを表す言葉
人から避けられた - 私に注意を払う人などいない。私は一人ぼっち。誰も話しかけてくれない。
仲間はずれにされた - 誰も私を話し合いに入れてくれない。誰も私に話しかけたり、私の気持ちに関心を持ってくれない。
のけ者にされた – 私と話をしたり、関係を持ったりすることを望む人はいない。私はいつも一人ぼっち。
これらは、放任された人が語る言葉です。
放任された人と一緒に祈る祈り
先ほど例に挙げましたが、両親が感情的に放任し、彼が何を食べていたかを尋ねなかったという少年の場合はどうでしょう。両親は彼と話もせず、一緒に遊んでくれることもありませんでした。
放任を解消する言葉
放任されていた子供が、大人になった今、その人に何と言えばいいのでしょうか。
これらはケアを開始するために使用できる言葉の例です。このようなケアを開始すると、放任されてきた人は突然心を開き始め、あなたとつながり、あなたに応答することを望むようになります。
肯定的な言葉
仲間に入れられる – あなたに夫と妻として下すすべての決定に入ってもらいたい。
注意を払う – あなたとあなたの感情的ニーズが何であるかに毎日注意を払い、それらのニーズを満たしたい。
聖書には放任に適応する節が 2 つあります。
最後に「無視された」という言葉を取り上げます。これは、破棄、見落とす、見過ごす、除外することを意味します。
人が他者を無視する理由
視されたことによる個人への影響
絶えず無視されている人は次のように感じます。
無視されたことに関連付けられる痛みを表す言葉
注意を払われなかった – 私が部屋にいたことなど誰も気付いてくれなかった。
尊重されなかった - 父は私のバレーボールの試合に来てくれるほど私を気に掛けてくれなかった。
これらの言葉は、その人が無視されたことによる痛みを経験しているという事実から出るものです。
この問題を解決するために祈る祈り
以下は、祈りの例です。あなたが祈りで人を導く際、その人のニーズに焦点を絞ります。そのため、ここでは、まず問題を定義してから、祈りの例を示すことにします。この祈りをコピーするのではなく、その概念を参考にしてください。その人の痛みを理解し、それに焦点を絞った祈りにする必要があります。祈りで人を導く場合、その人はあなたの後に続いて祈ります。各フレーズとフレーズの間に間隔を置いて、神の霊があなたの問いかけに答えるのを待ちます。
感情的に離れた父親に無視された少女がいたとします。その少女は、その父親とつながろうとしますが、父親はつながりを持つことはありません。彼女は、業績と仕事に集中する男性と結婚します。彼は仕事のみから充足感を得ています。祈りの例:
無視されたことによる痛みを解消するための言葉
肯定的な言葉
気が付いた - あなたが何をしているか、何に興味があるかなどに気付くための時間を私がとったとしたらどうでしょう。仲間に入れられる - 家族としての話し合いのためにあなたを含めていいですか。夫と妻として一緒に下す決断でつまはじきにされたり、無視されたりさせたくない。
心の傷の評価
これらのことを自問する必要があります。
放棄、放任、無視による心の痛みの問題を解決するステップ
ワークブックの「どのようにして心に傷を負ったか」のワークシート10 を「最高の痛み」、0 を「痛みなし」として、0 ~ 10 の評価で、最初の 3 つのカテゴリ、放棄、放任、無視によって経験した痛みのレベルを定義してください。
2 番目に、次のページで見捨てたこと、放任したこと、無視したことによってどのように他人を傷つけたかを定義してください。
3 番目に、聖書研究のグループとして、心に傷を負った人を理解し力づけることができるように、ワークブックのこの章の最後にある質問を取りあげて話し合ってください。小グループは、心に傷を負っている人が 2 ~ 3 人いるかもしれません。今週、それらの人たちが経験した痛みを、このセッションで話し合った原則を使用して、それらの人たちと祈る時間をとっていただけますか。
Copyright John Regier 2013 ー Japanese posting 2015 Phil Hamm Translation: Takako Mori Taylor
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